2024年4月21日にご逝去されたピアニストのフジコヘミングさん。
たくさんの保護猫と暮らしている様子は有名ですが、ご家族についてはあまり話を聞きませんでした。
そんなフジコヘミングさんの家系図やご両親が気になったので調査をしてまとめてみました!
ぜひチェックしてみてくださいね♪
フジコヘミングの家系図
こちらがフジコヘミングさんの家系図です。
フジコヘミングさんは両親や先祖にアーティスト系が多いようですね。
もう少し詳しくご家族がどのような方だったのか詳しく調査しました。
フジコヘミングの両親・祖父母の経歴を調査
そんなフジコヘミングさんの両親・祖父母について調査しました。
<フジコヘミングの近親者>
父:ジョスタ・ゲオルギー・ヘミング
母:大月投網子
弟:大月ウルフ
祖父:大月専平
曽祖父:大月仁喜太
祖母・曽祖母の情報は確認できていませんので、引き続き調査を進めます。
以下でどんな人たちだったのか詳しくご紹介します。
フジコヘミングの父:ジョスタ・ゲオルギー・ヘミング
フジコヘミングさんの父はジョスタ・ゲオルギー・ヘミングさんです。
ジョスタさんは、貴族の末裔だったそうですが、なかなか奔放な人だったそうです。
そんなジョスタさんは、母のシグナさんと妹のグレダさんと共に幼い頃スウェーデンからドイツに移り住みました。
映画会社の美術部に勤務しながら20歳の頃に出会ったのが、フジコヘミングさんの母・大月投網子(おおつき・とあこ)さんでした。
1931年8月22日に結婚し、1932年12月5日にはフジコヘミングさんが生まれました。
なぜなら、父は貴族の末裔でたいそう立派な家系に生まれ、教育もしっかり受けたはずなのに、本人は芸術家にありがちな自由主義。女性に対してもあまり責任を取るタイプではなく、いつもふらふらしているような若者でした。
引用:幻冬舎note
ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングは日本に馴染めなかった
そこでジョスタさんと大月投網子さんは日本に移り住み、弟の大月ウルフさんも生まれました。
しかし、日本に馴染めなかったジョスタさんは妻子を置いてスウェーデンに帰国してしまったそうです。
その後、ジョスタさんは何度かフジコヘミングさんたちをスウェーデンに呼ぼうとしましたが、大月投網子さんはこれを拒否。
結局、そのまま別れてしまったそうです。
ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングは再婚し、異母妹がいる
ちなみに、離婚後にジョスタさんはスウェーデンで再婚したそうで、娘も生まれたのだとか。
名前はエヴァ・ゲオルギー・ヘミングさんといい、フジ子・ヘミングさんの異母妹にあたります。
職業は、大学の芸術学部で学部長をしていたそうです。
フジコヘミングの母:大月投網子
フジコヘミングさんの母は大月投網子さんというピアニストです。
大月投網子さんは、現在の東京藝術大学の出身で、現在のベルリン芸術大学に留学していました。
そこで夫・ジョスタさんと出会い、結婚しました。
帰国後にジョスタさんとは離婚し、女手一つで2人の子供を育てていくことを決意したそうです。
また、ピアニストだった大月投網子さんはフジコヘミングさんの才能に気がついてレオニード・クロイツァー氏に支持させるなど熱心にレッスンをしたのだとか。
さらに、ドイツに留学をさせ、仕送りも欠かさずしてフジコヘミングさんを支えたそうです。
大月投網子は気性が荒かった
そんな大月投網子さんは、竹を割ったような性格で気性が荒かったそうです。
まだジョスタさんと日本で暮らしていた時には、ジョスタさんを怪しむ警官にくってかかったこともあったのだとか。
大月投網子さんは、晩年もフジコヘミングさんを案じながら、成功を信じていたそうです。
まさに強く、愛に溢れた母ですね。
フジコヘミングの弟:大月ウルフ
フジコヘミングさんの弟は俳優の大月ウルフさんです。
大月ウルフさんは、中学生の頃から舞台に出演し始め、特撮番組などに数多く出演していました。
実は、大月ウルフさんは気性が荒く癪に障るとすぐに手が出てしまう人物だったのだとか。
フジコヘミングさんのコンサートのプロデュース業をになったこともありましたが、多くの施設で出禁になっていたそうです。
もしかしたら気性の荒さは母親譲りだったのかもしれませんね。
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でもね、彼は癪に障るとすぐに相手をぶん殴るものだから、あちこちで出入り禁止になってしまって。私のコンサートのプロデュース業もしてくれていたけど、サントリーホールも東京オペラシティもNHKホールも、全部出入り禁止。
引用:婦人公論.jp
フジコヘミングの母方の祖父:大月専平
フジコヘミングさんの母方の祖父は、大月専平さんです。
大月専平さんは、明治初頭に国産炭インキを発明し、大阪毎日新聞の印刷に使用され事業は大成功しました。
これによって大月家は大きな財産を手にしましたが、大月専平さんは1912年に47歳という若さで急逝してしまいました。
ちなみに、事業は家族や親戚で支えていったため会社は順調で大月投網子さんも裕福な生活を送っていたそうです。
母の実家は大阪で工場を経営し、かなり裕福な家でした。母の父親が、明治時代に印刷用のインキを発明し、それで財を成したのです。
引用:幻冬舎note
フジコヘミングの母方の曽祖父:大月仁喜太
フジコヘミングさんの母方の曽祖父は、大月仁喜太さんといいます。
岡山県で比較的大きな土地を所有していたと言われているのだとか。
そんな大月仁喜太さんは、村の代表者の一人で年貢の徴収や上納などを行っていたそうです。
なかなかの権力者だったのですね。
フジコヘミングの家系図は?両親・祖父母・弟の経歴まとめ
今回は、フジコヘミングさんの家系図を作成し、ご家族や先祖についてまとめました。
何か新しい情報が確認できましたら、記事を更新していきます。
では、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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