幸が薄い女性の役を演じれば右に出るものはいない、怪演女優とまで呼ばれる俳優・木村多江(きむら・たえ)さん。
実は生い立ちが壮絶で、父親とは死別。
さらに母親への罪悪感に長年苦しんでいた名実ともに「薄幸」な人物と言われています。
そんな木村多江さんの生い立ちや「薄幸女優」として大成した背景について調べました。
ぜひチェックしてみてくださいね!
木村多江の生い立ちが壮絶!実家の家族構成も調査
木村多江さんは21歳で父親が急逝し、家族を支えるために壮絶な半生を送っていました。
木村多江さんは「セレブ」「優雅」「お嬢様」という印象が強いですが、実は半分本当で半分正しくありません。
たしかに幼少期はお嬢様として育ってきましたが、父親の急逝で生活が一変しました。
どれほどの落差があったのか、以下で詳しくまとめました。
木村多江の生い立ち
木村多江さんは1971年に東京都で生まれ、まもなく父親の仕事の関係でシンガポールに移り住みました。
シンガポールには2歳半まで住んでいたそうで、2024年1月13日放送の「アナザースカイ」でも家族写真と共に思い出を語っていました。
帰国後も東京都で生活し、小中高は難関でお嬢様学校としても有名な白百合学園に進学。
6歳からはクラシックバレエも習い、まさにお嬢様として生活していました。
そんな木村多江さんは白百合学園高等部卒業後は、父親の反対を押し切って昭和音楽芸術学院ミュージカル科へ進学。
厳格だった父親は女優になるという木村多江さんに猛反対していたのだとか。
また、レッスン費のためにアルバイトで深夜に帰宅する姿にも苦言を呈していたようです。
そんな中、木村多江さんが21歳の時に父親が49歳という若さで急逝。
それまでのお嬢様生活が一変し、まだ学生だった弟の学費や生活費のためにアルバイトを4つも掛け持ちする壮絶な日々を送ったそうです。
なんと20代後半は、働き過ぎで睡眠時間が1〜2時間しかなかったのだとか…!
そんな木村多江さんは、1999年のドラマ「リング〜最終章〜」と「らせん」での山村貞子役でブレイク。
その後も「救命病棟24時」や「白い巨塔」、「カレ、夫、男友達」などに出演し、「日本一不幸役が板につく女優」として地位を確立しました。
また、ドラマ「あなたには帰る家がある」や「あなたの番です」では狂気的な役柄を熱演し、怪演女優としても注目を集めています。
プライベートでは、2005年に電通幹部社員の鈴木文彦さんと結婚し、2008年には一人娘を出産しています。
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木村多江の実家の家族構成
木村多江さんの実家の家族構成は
父親、母親、弟の4人家族です。
木村多江さんのご家族について、過去のインタビューからどんな人物なのかまとめました。
<木村多江の実家の家族>
父親:厳格で女優の夢に反対していた
母親:おおらかで前向き
弟:幼い頃一緒に漫才をしていた
以下で詳しくご紹介させていただきます。
木村多江の父親
木村多江さんの父親は海外営業マンで、シンガポール駐在の初代所長として赴任し、液化天然ガスの備蓄設備の建設の仕事をしていたそうです。
性格はとても厳格ながら、ユーモアがあって人を楽しませることが好きだったそうです。
ただ、木村多江さんが女優になることに対しては最後まで反対していたそうですね。
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木村多江の母親
木村多江さんの母親はとても前向きで、穏やかでありながら好奇心が強くパワフルな人だそうです。
そして、木村多江さんの父親とはとても仲睦まじかったそうです。
また、木村多江さんは母親が作ったコロッケが好きでさりげなく昼どきを狙って帰省しているそうですよ。
MCの黒柳徹子(87)から「お母さまへ当時の苦労を聞くことがある?」と問われ、木村は「大変だった?と聞いても『もう忘れちゃったわ』って。母は前に前に向かっていて、好奇心が強くパワフルな人なので、穏やかなんですけど、強くてたくましい女性なんだと思います」と分析。続けて「たまに母に会いたいなと思って。そんなに遠くないし、母が作ったコロッケが好きなので、さりげなく昼どきを狙って帰っています」と、楽しそう語っていた。
引用:スポニチAnnex
木村多江の弟
木村多江さんの弟さんについてはほとんど情報が公表されていません。
一般人の方なので今後も情報は出ないかと思いますが、何か情報が確認できましたら追記していきます。
弟さんと木村多江さんは幼少期には長く入院生活を送っていた叔母を楽しませたいと、一緒に漫才をしたり仲が良かったそうです。
そもそも私、幼い頃は弟とよく漫才をしていたんです。
引用:TV Bros.WEB
木村多江は母親への罪悪感で「薄幸女優」として大成した?
木村多江さんは母親・父親への罪悪感で
「薄幸女優」として大成したともいえそうです。
実は父親の急逝を「自分が心配をかけすぎたせい」だと考えていた木村多江さん。
父親と仲睦まじかった母親に対しても自責の念を抱いていたそうです。
木村多江は母親への罪悪感に長年苦しんでいた
木村多江さんは、自分の夢だけに向かっていた日々が父親の心労となって急逝につながったのだと感じていたそうです。
なので、母親の幸せを奪ってしまったような気持ちになり、立ち直るのに10年ぐらいかかったと語っていました。
「自分が幸せになることが許されない」「笑ってることが許されない」とずっと考えていた木村多江さんにとって、薄幸な役はちょうどいいと感じていたそうです。
心の底からご自身を責め続けていたからこそ、「日本一の薄幸女優」として大成したのかもしれませんね。
そして「その時に“あぁ、自分がすごくストレスを父に掛けてしまってたな”っていうこととか、“母から父を奪ってしまったんじゃないか”っていう自責の念がずっと20代は占めてましたね」と当時の胸の内を明かした木村は、「“自分が幸せになることが許されない”っていう感覚が強かったし、“笑ってることが許されない”っていうか、だから不幸な役が来てちょうど良かったのかもしれないですけど」と、強く悲観したことを追憶。
引用:entax
木村多江は結婚を機に考え方に変化
そんな自分をひたすら責め続けた木村多江さんの考えが変わったのがちょうどご結婚された30代半ばでした。
父親の急逝から立ち直るまでの10年間、生きる意味すらわからなくなってしまった木村多江さんを支えたのは、周りからの「演技良かったよ」の声でした。
そして「父は、私が不幸になるよりも、幸せになることを望んでいるんじゃないか」「もう少し自分を許してあげてもいいのかな」と考えられるようになったそうです。
それでも家族を持つことが怖かったという木村多江さん。
しかし、「世界ウルルン滞在記」の収録で訪れたスペインで養子縁組について考える中で「私も「家族が欲しい」「家族を増やしたい」」という考えが芽生えたそうです。
そんな時期にちょうど出会ったのが現在の夫である鈴木文彦さんでした。
木村多江さんは、鈴木文彦さんとの結婚生活の中で「反省はするけど、後悔しない人生を送ろう」という考え方に変わっていったそうです。
しかし「そういう時、いつも必ず“あの芝居で元気が出ました”とか、“もうちょっと頑張ってみようと思います”とか、“良かった”って言ってくださる方たちが、実は私を支えて走ってくれたんだな」と、自身を支えてくれた存在を明かし、「そのことに10年経って気付いて、“もうそろそろ自分自身を許して自分のことをもう少し愛してあげられたらいいな”と思ったし、“人を幸せにしていくことを私が仕事を通じてやれたらいいんじゃないかな”っていう風に思えるようになって」と、父との別れとその苦しみを乗り越えた術を打ち明け、締めくくった。
引用:entax
夫とは、今もとてもいい関係を築けています。一方で、父のこともあって、結婚して2年くらいは、「この人を失ったらどうなるんだろう」って、幸せがゆえに、不安を感じた日もたくさんありました。
ただ、それも時間と共に変化していきました。いつまでも、先のことを心配して不安になるよりも、「いつ何かあってもおかしくない」「反省はするけど、後悔しない人生を送ろう」って覚悟を決めたんです。
引用:CHANTO WEB
木村多江の母親は主演女優賞受賞で泣き崩れた
木村多江さんは映画「ぐるりのこと。」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、高崎映画祭で最優秀主演女優賞を受賞しました。
母親は地下鉄の駅にいるときに「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」などの受賞を電話で聞き、その場で泣き崩れたそうです。
木村多江さんにとって長かった下積み時代、母親としてどう声をかけたらいいのか悩んでいたとのこと。
娘の苦労や努力が報われて本当に嬉しかったんでしょうね。
2024年3月8日放送の「A-Studio+」で話を初めて聞き、木村多江さんの涙ぐむ様子もありました。
木村多江の生い立ちが壮絶!母親への罪悪感が薄幸女優を形成!まとめ
今回は、日本一の薄幸女優と名高い木村多江さんの壮絶と言われる生い立ちについてまとめました。
また、長年の母親への罪悪感から薄幸女優・木村多江が形成された噂についても調査しました。
木村多江さんは21歳で父親が急逝し、家族を支えるために壮絶な半生を送っていました。
もともと、お嬢様として育っていた木村多江さん。
しかし、父親が急逝したことで生活は一変し、アルバイトを4つも掛け持って弟の学費や生活費を稼ぎながら奔走する日々となりました。
父親の死因は自分が心配をかけたせいだ、母親から幸せを奪ってしまったと10年くらい立ち直れなかったのだとか。
木村多江さんは母親・父親への罪悪感で
「薄幸女優」として大成したともいえそうです。
そんな木村多江さんですが、周りの声や2005年に結婚した夫・鈴木文彦さんのおかげで「反省はするけど、後悔しない人生を送ろう」と覚悟を決めて前向きに生きられるようになったそうです。
お嬢様からかなりの落差で壮絶な生い立ちにびっくりしましたが、当時の経験もあったからこそ今の木村多江さんがあるのだととても納得できました。
素敵な木村多江さんですので、これからもどんどん活躍していってほしいですね♪
では、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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