怪演女優と呼ばれ、演技力に定評のある俳優・木村多江(きむら・たえ)さん。
実は実家がシンガポールにあるお嬢様と言われていますが、本当なんでしょうか。
しかも父親の職業がすごいので実家がかなり裕福という噂もあります。
たしかに木村多江さんの気品や美しさから納得ではありますが、実際のところはどうなのか調べてみました。
ぜひチェックしてみてくださいね♪
木村多江の実家はシンガポールではない!噂が出た理由を調査
木村多江さんの実家は
シンガポールではありません。
木村多江さんが所属している融合事務所によると「東京都出身」ということです。
また、木村多江さん自身も「下町育ち」と発言していたのでシンガポールにご実家があるわけではないようです。
ではなぜ実家がシンガポールと言われているのかというと、実は木村多江さんは2歳半までシンガポールに住んでいたからです。
木村多江は2歳半までシンガポールのオーチャードに住んでいた
実は木村多江さんは2歳半までシンガポールのオーチャードに住んでいたそうです。
ちなみに生まれたのはシンガポールではないそうですが、生まれて間もなくから住んでいたのだとか。
オーチャードは、シンガポール最大規模のショッピング街「オーチャード・ロード」で有名です。
さらに高島屋・伊勢丹などの日系ショッピングセンターもあって、日本人にも人気のエリアらしいです。
しかし、シンガポールの家賃は一般的には5000シンガポールドル前後(日本円で約40万円)が多く、都市中心部の場合は8000シンガポールドル(日本円で64万円)程するケースも珍しくないのだとか。
木村多江さんが住んでいた50年ほど前の家賃相場は不明ですが、当時も高額だったのではないでしょうか。
木村多江は東京都江東区出身の下町育ち
木村多江さんは東京都江東区門前仲町出身です。
2024年1月13日放送の「アナザースカイ」でご本人も「下町育ち」「ものすごい庶民的な生活をしている」と話していました。
なので、シンガポールにゆかりがあっても実家は東京都の下町だと感じているようですね。
木村 多江(きむら たえ、1971年3月16日 – )は、日本の女優である。
東京都江東区門前仲町出身。
引用:チケットぴあ
木村多江はお嬢様だった!根拠3つを調査
そんな「下町育ち」という木村多江さんですが、調べたところやはりお嬢様であったようです。
<木村多江がお嬢様だった根拠3つ>
①シンガポールの人気エリアに住んでいた
②習い事がクラシックバレエ
③幼少期から「白百合学園」に通っていた
以下で詳しく理由をまとめました。
木村多江がお嬢様だった根拠①シンガポールの人気エリアに住んでいた
木村多江さんがお嬢様だった根拠の1つ目は「シンガポールの人気エリアに住んでいた」ことです。
生まれてから2歳半までシンガポールでも人気のエリアオーチャードに家族3人で暮らしていた木村多江さん。
シンガポールで子育てをしながら生活するには現在価格だと60〜70万円/月もかかるそうです!
詳細は不明ですが、当時も生活費だけでも相当額かかっていたのではないでしょうか。
木村多江がお嬢様だった根拠②習い事がクラシックバレエ
木村多江さんがお嬢様だった根拠の2つ目は「習い事がクラシックバレエ」であったことです。
木村多江さんは6歳の頃からクラシックバレエを習い始めたそうです。
クラシックバレエといえば月謝以外の衣装や発表会費用などが高額で、「貴族の習い事」なんて言われることもある習い事です。
木村多江さんがいつまで習っていたのかは不明ですが、特技の一つが「バレエ」とのことなので長く習っていたのではないでしょうか。
ちなみに、木村多江さんは日本舞踊も師範の腕前ですが、こちらは20歳過ぎから始めたようなので父親がご存命の時(お嬢様時代)だったのか不明です。
6歳からバレエを習い、叔父が音楽プロデューサーだった影響でミュージカルに興味を持つ。
引用:映画.com
着物姿の役の所作を身につけるため、30年ほど前から日本舞踊のお稽古を続けているんですが、昨年の発表会では「藤娘」という演目に挑戦しました。
引用:めりぃさん
木村多江がお嬢様だった根拠③幼少期から「白百合学園」に通っていた
木村多江さんがお嬢様だった根拠の3つ目は「幼少期から「白百合学園」に通っていた」ことです。
実は小学校、中学校、高校を白百合学園に通っていたという木村多江さん。
白百合学園は小学校で年間100万円、中学校の初年度では130万円以上もかかるお嬢様学校として有名です。
偏差値も小学校受験で60と、かなりの難関です。
このため、入学前から幼児教育費もかなりかかると言われ、木村多江さんも裕福なご家庭だったことが伺えます。
木村は1971年3月16日生まれで、小学校から高校までは東京・九段北にある白百合学園に通った筋金入りのお嬢様だ。
引用:文春オンライン
木村多江の父親の会社・職業は海外営業マン!
木村多江さんの父親は
海外営業マンだったそうです。
2024年1月13日放送の「アナザースカイ」では、シンガポールのチャイナタウン「珍珠坊」付近で液化天然ガスの備蓄設備の建設の仕事をしていたと話していました。
しかも、当時建国間もないシンガポール駐在の初代所長として赴任していたのだとか!
具体的な会社名は挙げていませんでしたが、海外営業マンの年収は一般的な会社員と比較すると高い傾向にあるそうです。
なので木村多江さんの父親が存命であった頃の習い事や出身学校を見ても高収入であったことが推測できます。
木村多江の父親は49歳で他界
そんな木村多江さんの父親は49歳という若さで急逝してしまいました。
木村多江さんの父親はユーモアがありながらも、かなり厳格な方で、女優になることにも大反対だったのだとか。
しかも、木村多江さんが舞台の稽古代のためのアルバイトで深夜に帰宅するなど、生活が大きく変わった時期に倒れてそのまま亡くなってしまったそうです。
このため、木村多江さんは父親に心配をかけてしまったせいで、心労から父親が亡くなってしまったのではないかと長い間ご自身を責めていたのだとか。
バイトとは言え、毎晩深夜に帰宅する。親に小言を言われても、まったく気に留めることもないまま、自分のペースで生活してしまって。今思えば、私の行動がガラッと変わって、父を心配させてしまった。すごくストレスを与えてしまったんじゃないかなって思います。
引用:CHANTO WEB
木村が舞台女優として活動を始めていた21歳のとき、父は49歳の若さで急逝。「父は優しいけど厳格で。私の仕事も応援しているわけじゃなく、舞台の専門学校に入るときも反対していて」と木村。
引用:スポニチAnnex
木村多江は父親の急逝後はアルバイト三昧で生活を支えた
しかし、そんなお嬢様生活も父親の急逝で一変。
父親が急逝した時、木村多江さんはまだ21歳で弟は学生だったそうです。
そのため、木村多江さんは学費や家計を支えるためにパン屋やホテル、レストラン、コーヒーショップ、知育研究所などで働きはじめたのだとか。
なんと、1日にアルバイトを4つも掛け持ちしていたそうです。
しかも20代後半は、働き過ぎで睡眠時間が1〜2時間しかなかったとも語っていました。
しかし、この経験が演技や人柄を形成して大成につながったのだそうですよ。
きっとこの時からの生活環境から、木村多江さんはご自身を「庶民の感覚」と考えているのではないでしょうか。
それまでのお嬢様生活から一転、学費や家計を支えるためにパン屋やホテル、レストラン、コーヒーショップなどで働くようになり、1日にアルバイトを4つ掛け持ちしていた。
引用:文春オンライン
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木村多江の実家はシンガポールでお嬢様?父親の会社や職業も調査まとめ
今回は、演技派俳優・木村多江さんの実家がシンガポールでお嬢様という噂について調査しました。
また、お嬢様と言われた原因の父親の会社や職業も調べてまとめました。
木村多江さんの実家は
シンガポールではありません。
木村多江さんが所属している融合事務所によると「東京都出身」ということです。
また、木村多江さん自身も「下町育ち」と発言していたのでシンガポールにご実家があるわけではないようです。
しかし、2歳半までシンガポールで生活していたことから実家説が出たようです。
そんな「下町育ち」という木村多江さんですが、調べたところやはりお嬢様であったようです。
<木村多江がお嬢様だった根拠3つ>
①シンガポールの人気エリアに住んでいた
②習い事がクラシックバレエ
③幼少期から「白百合学園」に通っていた
このお嬢様生活を支えていたのが木村多江さんの父親と言われています。
木村多江さんの父親は
海外営業マンだったそうです。
しかし、木村多江さんの父親は49歳という若さで急逝してしまい、以降はアルバイトを4つも掛け持ちするなどかなり多忙な日々を送っていたようです。
きっとこの時からの生活環境から、木村多江さんはご自身を「庶民の感覚」と考えているのではないでしょうか。
何か新しい情報が得られましたら記事を更新します。
では、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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