バレーボール男子日本代表のセッター関田誠大(せきた・まさひろ)さん。
なんと小学校・中学校・高校・大学時代の全てで全国優勝しているんです!
そんな関田誠大さんの戦績と学歴、学生時代のエピソードをまとめました。
ぜひチェックしてみてくださいね♪
関田誠大は小学校・中学校・高校・大学で全国優勝!戦績と学歴まとめ
関田誠大さんの学歴と主な戦績がこちらです。
では以下でひとつずつ詳しくみていきましょう。
関田誠大の出身小学校:葛飾区立中之台小学校
関田誠大の出身小学校は、葛飾区立中之台小学校です。
小学校1年生からバレーボールを始め、バレーボールの強豪チームに所属していました。
以下で、詳しくみていきましょう。
小学校3年生までスイミングと両立
関田誠大さんは、小学校3年生までバレーボールとスイミングを両立していました。
姉の影響で小学校1年生からバレーボールを始めた関田誠大さん。
小学校4年生になる前に、親からバレーボールとスイミングどちらか選択するように言われ、バレーボールを選んだそうです。
バレー生活の始まりは小学生の時。当時はバレーだけでなくスイミングスクールにも通っていたが、4年生になる前に「どちらかを選択しなさい」と両親に言われ、バレーを選んだ。
引用:4years.
小学生バレーの強豪チームに所属
関田誠大さんは姉をきっかけに小学生バレーの強豪チーム、東金町ビーバーズに所属していました。
東金町ビーバーズは、何度も全国制覇したことがある強豪チームです。
練習はとにかく厳しく、週6日練習して目標は常に日本一。
関田誠大さんもこのチームで全国制覇したそうですよ。
ちなみに、東金町ビーバーズはタレントの平野ノラさんも所属していたのだとか。
関田誠大さんは25期生ですが、平野ノラさんは10期生だったそうです。
小学生バレーの強豪、東金町ビーバーズの練習は週6日。何度も全国制覇し、選手が変わろうと目標は常に日本一。
引用:4years.
ポジションは決まっていなかった
関田誠大さんは、東金町ビーバーズではポジションは決まっていなかったとのこと。
最初はレシーバー、5年生でセッター、6年生でアタッカー、全てのポジションを経験したそうです。
強豪チームで全てのポジションを経験しているからこそ、その後の活躍にもつながったのかもしれませんね。
関田誠大の出身中学校:駿台学園中学校
関田誠大の出身中学校は、駿台学園中学校です。
駿台学園中学校は私立中学校で、バレーボールの強豪校です。
では、詳しくみていきましょう。
中学校部活動の伝統に戸惑い
実は関田誠大さんは、中学校の部活動の伝統に戸惑ったそう。
駿台学園中学校バレー部は、夏場は坊主にしなければいけないという伝統があったそう。
さすがに3年生ともなると、もういいのではないかと思ったそうですが「伝統だから」とコーチに押し切られたとのこと。
また小学生のころは年齢が違っても友達のようだったのが、中学校に入ると
「先輩」「後輩」
「名前には‶さん″付け」
「常に敬語」
と言われることにギャップを感じていたのだとか。
今までなかった上下関係に戸惑ったようですね。
リベロ・セッターとして活躍
中学時代の関田誠大さんは、リベロ・セッターとして活躍しました。
レシーブが一番好きだったそうで、中学2年生のときはリベロを、中学3年生のときはセッターをしていました。
関田誠大さんは中学3年のときの全日本中学校選手権大会で、セッターとして出場し全国制覇を果たしています。
基本を重んじ、基礎練習を繰り返す日々の中、最も好きだったのはレシーブで、中学2年生の時はリベロも務めたほど。中学3年生からはセッターになり、小学校に続いて中学校でも全国制覇。
引用:4years.
関田誠大の出身高校:東洋高校
関田誠大の出身高校は、東洋高校です。
東洋高校は私立高校で、こちらもバレーボールの強豪校です。
関田誠大さんは、柳田将洋さんに誘われ東洋高校へ進学しました。
では、詳しくみていきましょう。
東洋高校を選んだのは柳田将洋の勧誘
関田誠大さんが東洋高校を選んだのは、柳田将洋さんの勧誘があったからです。
関田誠大さんが通っていた駿台学園中学校は、中高一貫校です。
しかし関田誠大さんは、そのまま高校に上がるつもりはなかったとのこと。
東洋高校か東亜学園高校で悩んでいたとき、1歳上の柳田将洋さんに「東洋高校に来ないか」と誘われ東洋高校に決めたそうです。
「もともとそのまま上(駿台学園高)に上がる気はなくて、東洋か東亜(学園高)、どっちにしようかと思っていた時にマサ(柳田将洋)から誘われたんです。『東洋来ない?』って。結局、それが決め手になりました」
引用:4years.
高校時代の春高バレーでチームプレーの大切さを実感
関田誠大さんは高校時代の春高バレーで、チームプレーの大切さを実感したそうです。
高校1年生のときの春高は、3月開催だったため1、2年生のみ出場でした。
新チームで予選が始まるため、柳田将洋さんの攻撃力だけで優勝できました。
しかし、次の春高からは1月開催に変わり、3年生も出場可能に。
春高は、1年間の練習の成果を発揮する場所に変わったそうです。
それぞれチームが練習を重ねて出場する大会に、前回との大会の違いを感じた関田誠大さん。
柳田将洋さんの攻撃だけでは通用せず、チームとして戦わないと勝てないと実感したそうです。
2年目の春高は3位という結果に終わりました。
高校3年生で主将に任命されるも震災で結果が出せず
そして高校3年生になった関田誠大さんですが、主将に任命されるも震災で思うように結果が出せませんでした。
このころ東日本大震災があり、東京でも計画停電や体育館の使用制限が重なり、毎日の練習時間は1時間ほどしか取れなかったのだとか。
練習メニューも主将である関田誠大さんが考えていましたが、限られた時間で何に取り組み、チームをどのように作り上げていくべきかとても悩んだようです。
結果、最後の年も優勝できませんでした。
関田誠大の出身大学:中央大学法学部
関田誠大の出身大学は中央大学法学部です。
関田誠大さんが大学3年生のときに、石川祐希さんと出会います。
では、詳しくみていきましょう。
中央大学を選んだ理由は強豪校で今村貴彦がいたから
関田誠大さんが中大学を選んだ理由は、強豪校で今村貴彦さんがいたからです。
関田誠大さんは体育の教員を目指していなかったため、総合大学に行きたかったそうです。
その中でも強豪校で、日本一を目指せる大学が中央大学だったとのこと。
また、今村貴彦さんも中央大学に行くと聞いて、迷わず中央大学に決めました。
同じ歳で仲の良かった今村(貴彦、日向学院高→中大→現パナソニックパンサーズ)も中大へ行くと聞いていて、ヒコ(今村)と一緒にやろうと思っていたので、迷いはありませんでした
引用:4years.
大学時代は石川祐希ともプレー
関田誠大さんは、大学時代に石川祐希さんともプレーしています。
関田誠大さんが大学3年生のときに、石川祐希さんが新入生として入ってきたそうです。
石川祐希さんは入学してすぐにレギュラーとして試合に出場し、入学当初からすごく目立っていたそうです。
どんなトスでも上げれば決めてくれたのだとか。
そんな石川祐希さんとプレーした2年間は、春・秋リーグや全日本インカレなどで優勝。
また、関田誠大さんのセッターとしての新たな引き出しを増やす分岐点になったそうです。
▶︎関連:石川祐希は頭いい&イタリア語ペラペラ!出身大学の学部はどこ?学歴(高校・中学校・小学校)偏差値まとめ
だが関田にとって石川とともにプレーした2年間は、春・秋リーグや全日本インカレなど数多くのタイトルを制しただけでなく、セッターとして新たな引き出しを増やす分岐点にもなったと振り返る。
引用:4years.
大学3年でインカレ優勝・セッター賞受賞
そんな関田誠大さんは大学3年のときインカレで優勝し、セッター賞を受賞しています。
関田誠大さんは、石川祐希さんとともにインカレ(全日本大学選手権)に出場。
このとき18年ぶりの優勝となったそうです。
ちなみに、この年の最優秀選手賞は石川祐希さんが受賞しています。
大学4年でインカレ優勝・最優秀選手賞受賞
そして関田誠大さんは、大学4年でもインカレで優勝し、最優秀選手賞を受賞しています。
大学4年生になり主将としてチームを優勝へと導き、2連覇を達成しました。
高校時代は結果が出せず苦しい期間でしたが、大学時代は見事チームを優勝に導いたなんて素晴らしいですよね。
関田誠大の戦績と学歴(小学校・中学校・高校・大学)・学生時代のエピソードまとめ
関田誠大さんは小学校、中学校、高校、大学で全国制覇を果たしています。
小学校のときから数々の成績を残してきた関田誠大さん。
パリオリンピックバレーボール男子日本代表メンバーにも選ばれています。
関田誠大さんのパリオリンピックでの活躍がとても楽しみですね♪
では、最後まで読んでいただきありがとうございました。
▶︎関連:関田誠大のネックレスは結婚指輪!妻との馴れ初めや子供について調査
▶︎関連:高橋藍の学歴まとめ!小学校・中学校・高校・大学時代の身長やエピソードも調査
▶︎関連:山内晶大は守山東中学出身!高校・大学の学歴と学生時代のエピソードまとめ
▶︎関連:2024男子バレーはイケメン揃い!海外の反応は?日本代表人気9人のプロフィールを紹介